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まんぢゅう皿 その2
(有料動画+テキスト)
「やあやあやあ、みんな大したもんだ」と太陽のように人々の前に現れた、と祖父・庄司さんの事を語ってくれた友緒さん。楽しそうに祖父の事を話してくれるので、こちらまで楽しくなる。太陽のようなその方は、英国から帰国後、益子町に窯を作って、この地に多大な影響をもたらした陶芸の大家。亡くなって40年を過ぎた今でも、この地にうっすら、いや分厚くその存在の名残が見え隠れしている。それは益子町を散策するとよくわかる。
私は、2016年に濱田庄司参考記念館で映画「あめつちの日々」の上映会を開催して頂いた事があり、その時が初めての益子訪問だった。館は収集センスに満ち溢れたモダニズム濱田の生活様式、焼き物だけでなく日本古来の「建物」集めをも展示作品にしたというダイナミックさが爽快だった。環境作品とも言える館内は季節の自然と調和された景色を生み出し、日本文化の下支えであるかのように懐かしくも誇らしい美を満々に持っていた。(展示品は日本のものだけではないけれども)その時、私は御本人の人となりを知った気になっていた。
濱田晋作さん
4号館へ続く緑美しい小道に見とれてカメラを向けていると、一人の老人が私の脇を通り過ぎた。腰が曲がって顔は見えないものの、落ち葉を杖で除ける几帳面さが伺える。庄司さんの息子さんにあたる濱田晋作さんだった。親父が収集した英国椅子に腰かけて、ご自身が作陶した湯呑でお茶を楽しむ姿は、洒落ていて実に紳士的だった。私が沖縄陶器の映画上映でこちらにお邪魔している事を話すと、晋作さんは急に戦争時代の事を話し始め、ここでも軍の食器を作っていたと天井を見上げながらつぶやいた。そして時間になると再び帽子を頭にのせてゆっくりゆっくり同じ小道を帰っていった。もう4年前(2016年)の事になる。
ぱーすちぃ
そうこうしているうちに館の前で、車でパンを販売している「泉’sパン」加守田泉さんに出会った。彼女は陶芸家・加守田章二さんのご子息・太郎さんの奥様。益子ではどこへ行っても陶芸家に出会う。友緒さんの妻・濱田雅子さんからこのパンの由来を伺うと、庄司さんは英国生活から帰国後もヨーグルトを食されていたという。やっぱりハイカラだ。当時の日本では聞き慣れない代物だった事は想像できる。ところがそれだけではなかった。よく聞くと、濱田家ではそのヨーグルト酵母を自家で繋ぎ続け、その菌は現在でも生きているという。濱田家の代々女性たちの台所での仕事ぶりを思わずにいられない。加守田泉さんは、なんとその酵母を分けてもらって酵母パンを作っているという。
加守田泉さんと雅子さんが、「木曜の今日は道の駅で“ぱぁすちぃ”が扱われている日ですよ」と言った。「?」聞き取れなかったそれは、確かに昨日の“みっちゃん”からも聞こえてきた音だった。その足で益子町道の駅へ向かうと「ぱぁすちぃ」は透明パックに入って販売していた。これは濱田家の女たちが旦那様のリクエストに答えて、当時からこしらえていたという英国のPasty(具入り焼きパイ)の事だった。
町の食育推進会議で、雅子さんはこの濱田家「ぱぁすちぃ」のレシピを公開している。先代から伝わる大切なレシピをおしげもなく公開するんだと親みを抱いた。当時、お台所で奥様の料理を手伝っていた“みっちゃん”に話を伺ってみると、晋作先生の誕生日によく「ぱーすちぃ」を作ったと話してくれた。Pastyの云われついてはご存知なかったようだが、生地の淵の方を捻じって綴じる真似をする姿は、さすがによく作ったであろう手つきであった。
ぱーすちぃ(ぱぁすちぃ)= Pasty 英国コーンウォール地方セントアイブス。迷路のように続く小道には色んな小さな商店が続く。ベーカリーのウィンドゥに必ず並んでいる大きめのペストリーパイ。これが中に肉や野菜がたっぷり詰め込まれたコーニッシュ・パスティ(Cornish Pasty)というもので、この地域のスズ鉱時代から続くコーンウォールの料理。
おおらかさと強さ
濱田庄司先生の時代より晋作先生や友緒先生と、みっちゃんは濱田家の近くで60年を過ごしてきた。職人・薄根文男さんもそのお一人。職人・豊田道夫さんは親の代から濱田窯に通っている。みなさん近所から通っている。このようなそれぞれの地域のなりわいや縁を当時の日本は皆そうだった、と一言で言い表してしまうことは相応しくない気がしている。
私の社会人経験は都会の会社務めでしかなく、濱田窯で聞くように仕事も家族も代々通じ合える人との繋がりは全くなく、こういった関わりが実に眩しい。コロナ禍である現代では余計にそういった事の必要性をひしひしと感じる。今の社会にもっとその関係性が存在していれば、多くの社会問題から確実に助かる人たちがいるように思える。
益子を代表する陶芸の技術が詰め込まれた日常使いのまんぢゅう皿。その丸みは、主を中心に窯に漂う安堵感と「すっ」と重なった。1日100個の饅頭武勇伝からは、女たちが溢れる来客にお茶と饅頭を用意し続けたという様子を想像できる。主人の笑い声は囲炉裏近くで響いていた事だろう。
美しい自然や物に囲まれて作陶することを選んだ主がいた当時のまま、友緒さんが引き継いだ現代の窯にも、おおらかな温もりが漂う。それは人間国宝が放つ陶器文化だけではない日本文化のひとつを感じた気がする。今回は庄司先生がおおらかな人だったという事を知って、帰路にぼんやり考えた。ああ、それが本物の強さの現れということか。
文・川瀬美香
協力:濱田窯 益子陶芸美術館/メッセ・益子 濱田庄司記念益子参考館
取材萌芽記
国内でどんどん消えてゆく茅葺き屋根。濱田庄司記念益子参考館は茅葺き屋根のダイナミックな姿を現代の人達に魅せてくれている。しかし、こういった美しいものの維持が益々厳しくなっている。茅はあるのか?職人さんはいるのか?4号館の700平米とも言われる堂々たる屋根。
濱田庄司記念益子参考館では屋根を維持する為の寄付を募っている。寄付のお願い https://mashiko-sankokan.net/top/kihu/
川瀬美香
音楽 明星/Akeboshi
編集 大重裕二